朝日新聞のコーナー「いじめられている君へ」に掲載されている、さかなクンのいじめられている子への言葉を紹介します。
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
学生の時は行動範囲が狭いこともあって、どうしても学校が世界の全てのように感じてしまう方もいると思います。
しかし、そんな事はありません。さかなクンが言うように、学校はとても小さな水槽です。大きな海はもちろん、池ですらない、とても小さな水槽です。
ネットショップを簡単に作成できる「BASE」やクラウドファンディング「CAMPFIRE」などを創業した家入一真氏もこう言っています。
先日中学生への講演で「皆さんの中にいじめっ子もいじめられっ子もいると思います。学校や友人関係がこの世界の全てだと思い込みがちだけど、そんなことは全く無いから、病んだり死を選んだりするくらいなら、学校なんてまじ行かなくていいから」的な事を言ったら、校長先生に怒られた笑。
学校以外に行き場なんて無い、と思い込んじゃうから、逃げ場を失って追い詰められてしまう。中学生の自殺なんてあまりにも辛すぎる。学校だけが全てじゃない、行かなくても生きてたら何とかなる、と大人が色んな世界を見せてあげる事が大事。昔は近所にそんなダメ親父(笑)がたくさんいたんだよね。
(中略)
居場所さえあれば、絶望しても何とか生きていけるもんだよ。とにかく学校に行け、としか大人に言われず、学校にも家庭にも居場所を無くした子は、一体どこに行けば良いのだろう。学校に行かない、という選択肢がもっとカジュアルになればいい。そもそも「不登校」なんて否定的な言葉を変えたいよなあ。
子供の「学校から逃げる」という行為は、ある種の自己防衛本能なんだよね。言葉にもうまく出来ない、子供の本能的な行動を、大人は受け入れてあげるべきなんだと思う。そんな本能は大人になるにつれ失われていくから「逃げるな、戦え」と強制させてしまいがちだけど。
まとめ
筆者は高校生の頃、勉強も友人関係もダメダメで、とても酷い学生生活を送っていました。学校に行っても、一言も喋らない事もあったくらいです。
ですが、大学に進学すると話しかけてくれる子や仲良くしてくれる友達ができました。行動範囲が広がった事で、10歳以上歳が離れた知人も出来ました。
もしあの時、高校という小さな水槽の中で人生を諦めてしまったら、そんな友人知人とは出会えず、今こうして生きている事もなかったかもしれません。
学校という狭い水槽で苦しんでいるときは、さかなクンの言葉を思い出し、水槽の外に広い世界が広がっていることを思い出してみてはどうでしょうか?